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鎌倉の過去世/呪詛

普通の人間同士なので、付き合っていれば喧嘩もします。
 ところが、その日は風向きが違いました。
 キッカケは本当に些細だったのかもしれませんが、私の感情が押さえられず、彼の言動に「もう、鎌倉に桜なんか見に行かなくてもいいよ。」ぐらい思ってしまったのです。彼も彼で、珍しく怒りが沸いてしまったようでした。彼が怒ったのを感じた途端ウソのように私の怒りは消えてしまいました。後で考えるとおかしな話です。
 その日の夕方、娘を自転車から降ろして部屋に帰ろうとした時、ぶつかった訳でもないのに私の足に自転車が倒れてきました。しっかりあざが出来、娘に怪我がなくて良かったとホッとしたのも事実ですが、喧嘩もするし厄日だなあと思っていました。それから、暫くして彼から連絡があったのですが、私は彼がまだ怒っているのではと思っていました。しかし、もうすっかり彼は別の事に取りかかっていました。
 彼は、怒りの感情が沸いてきたときに「これは何かおかしい。」と感じたのだそうです。
 その事を深く探る為に、ずっと仕事中も霊視を続けたようでした。もちろん滅多にそんな事をする訳ではありません。聞いたときも意味が分かりませんでした。
 私に、呪詛がかけられている、と言うのです。
 「こんな仕掛けは初めてだよ。」
 彼が今まで経験した事のないものだったので見つけるのに時間がかかったと言っていました。
 要は、私にとって物事が上手くいきそうになったり、良い状態が続くとスイッチが入るようになっていたというのです。普通悪い状況の時には人に相談したりもするでしょうが、良い状態の時にはしないはずなので、呪詛が見破られる可能性がほとんどないように設定されていることになります。スイッチが入る瞬間を見逃せば、呪詛自体を見つける可能性もなくなるわけです。(掛けられていると考えない限り。)陰陽師がいたのですから、呪詛は平民の間でも頻繁に行われていた時代があったと歴史上の事実でもいわれています。が、このトラップはプロが掛けていたはずだと彼は言いました。
 「相手が獣を使っているから、これを外すには人ではなく獣の力を借りる事にする。いくつか神社はあたってみたよ。」

 こんな事に自分が関わっていると思いたくありませんでしたが、実際、自転車が倒れてきたとき、まるで強風が吹いたか獣が通りすぎたかのような気配があったのです。気のせいであれば、それに越した事はありませんが。
 このトラップを解く為に、私の見えないところでどのように尽力を発揮してくれたのか知る由もありませんが、大変だったろうと思います。
 確かにこれから上手くいきそうな時に、打ち砕かれる事が数多くありました。だからこそ、運が悪い、男運も悪いと思うようになってしまったのです。通常子供が生まれると上手くいくようになるはずなのに、私は反対でした。
 被害者意識と思われてしまうと困るのですが、人生は結局そんなに上手く行くはずがないと感じていたのは事実なのです。
 それが、本当に、呪詛だったのかもしれない…とすると、じゃあどうして?と考えてしまいます。私は、人に呪詛を掛けられるほど、悪い事をしてしまったの?と。
 今回の場合は、伊勢から私が鎌倉に来た為に、能力を発揮していた権力欲の強い年配の巫女が結果的に追いやられてしまい、「この女さえ居なければ。」という気持ちから起こったことのようです。つまり妬みです。通常は呪いなどは自分にも降りかかる為、避けるべきところなのですが。
 実際にこういう呪いなどは、災い返しという風にそのまま返すことも出来るらしいのですが、彼にしてみれば、今世では誰も傷つけないようにしたいとの配慮からかなり時間を掛けて解いてくれました。
 不幸はすべて呪いか、と思ってはいけません。
 私が言うのも何なんですが、こんな事は滅多にある事ではないはずです。
 呪詛をかける事が出来るほどの力を持った人物は、むやみやたらに使う訳もありません。もしかすると、かつての私に配慮が足りなかったことが原因にあったかもしれませんし、たまたまこの呪詛には「未来永劫」と付けられていた為、現代まで及んでしまいましたが、通常そんなことはないそうです。「未来永劫」などと言ったら、掛けた本人も「未来永劫」解放されないのですから、その人物だって苦しい人生を送ってしまったのではないでしょうか。
 何事にも解決策はある、という例になるでしょうか。
 過去世での名前が出てくる場合は、かなりの想いを残しているからなのだそうです。実際、名前まで残るほどの感情が縛りつけているということなのでしょう。本来ならば過去に過ごしたことは事実であったとしても、もう忘れてしまえば良い事なのです。
 でも過去を知る療法の可能性としては、「過去に縛られるなと言われても、残してしまった感情が現実を苦しくしているのであれば癒してしまおう」という考え方ですので、ごく普通に生活ができる人にとっては、関心がなくても当然なのだと思います。
鎌倉の過去世/考察
 やはり催眠療法などを仕事にしている友人にこの内容を少し話したとき(精神世界を理解している友人に話すのでさえ、とても抵抗がありましたが)、
 「でもね、自分の伴侶が戦で死んで帰らなかったなんて話は、多分世の中数え切れないほどあると思う。なのにどうして、それ程までに囚われてしまっているのかね?まあ、置いて行かれる哀しみに囚われているのは間違いないだろうね。」
 という意見がありました。
 確かに私は、彼との過去世に限らず身内と離れ離れなってしまった内容の過去を幾つも体験していました。つまり、今世私は、その部分について何かしらの課題があるのだろう事は確かだと思っています。
 人は必ず、自分が今世でやり遂げたい事があり、その為に両親を選んでいるのだと知ったとき、少なからず反感を持ちました。そんなはずはないと思いました。
 なぜかというと、その時点では自分が辛いのは親のせいだと考えていたからです。
 けれども、自分の両親から何を受け継ぎ学んだかをじっくり考えてみた時に、ハッとしました。確かに父親はとても信心深く霊的な存在を否定しない、また母親は植物を育てる事に関しては天才的だ、と気付きました。詳しくは省略しますが、自分にとって両親が与えてくれた事柄を考える事自体も、自分の内面を探求する上でとても重要です。確かにある意味難関でもあるかもしれません。
 生まれて来るときに自分がどうしてこの両親を選んできたのだろうかと考えてみてください。
きっと気づきがあるはずです。


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